最高裁判所第三小法廷 平成7年(あ)701号 決定 1995年12月15日
本籍
東京都世田谷区下馬五丁目三四番
住居
同世田谷区桜丘四丁目一六番二一号
会社役員
宮田宗信
昭和一九年七月三〇日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成七年六月二一日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人関野昭治の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 尾崎行信 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫)
平成七年(あ)第七〇一号
上告趣意書
罪名 所得税法違反 被告人 宮田宗信
右被告人に対する頭書被告事件につき、被告人が上告した趣意は左記の通りである。
平成七年一〇月四日
右被告人弁護人
弁護士 関野昭治
最高裁判所第三小法廷 御中
記
右被告人に対する所得税法違反事件につき、東京地方裁判所が平成六年三月八日に言渡した有罪判決に対し、被告人が控訴を申立てたが、東京高等裁判所は、平成七年六月二一日控訴棄却の判決を言渡した。
しかしながら、原判決が弁護人の(一)法令適用の誤り、(二)事実誤認、(三)量刑不当の各主張を排斥したことはいずれも不当であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるから、判決で原判決を破棄されたい
以下その理由を述べる。
第一 法令適用の誤りの主張に対する判断について。
原判決は「論旨は、要するに、本件は事前の所得秘匿工作を伴わない虚偽過少申告の事案であるから、所得税法二三八条一項の罪が成立するためには、当該申告によって税を逋脱することの積極的な意思と、被告人において敢えてその申告に及ぶ行為の双方が存在しなければならないところ、これらの事実に何ら言及しないまま本件虚偽過少の所得税確定申告の提出を『偽りその他不正の行為』に当るとして同条項を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがあるというものである。しかしながら、事前の所得秘匿工作がなくとも、真実の所得を秘匿し、所得金額をことさら過少に記載した所得確定申告書を税務署長に提出する行為は、それ自体所得税法二三八条一項にいう『偽りその他不正の行為』に当るものであって、この場合に所論のように事前の所得秘匿工作を伴う場合よりも積極的な逋脱の意思等を要するものと解するべき実質的な理由を見出し得ない」旨判示する。
しかしながら、原審において弁護人が、本件につき逋脱犯が成立しないと主張するところは、その過少申告が諸般の状況を総合し、申告者において真実の所得につき納税する意思があったと判断される場合には、その過少申告は不正行為に該当しないという趣旨のものであって、決して原判決が判示するごとく独自な見解ではないと思料する。
即ち、租税の不納付行為の違法性を段階的に価値評価するならば、第一段階として、納税義務を誠実に履行すべく申告したが、その履行が税法上の解決に錯誤があったことなどに基因し、適法な納税義務の履行に適合しなかった場合、第二段階として、租税を免れる意思はないが、法律の不知、あるいは、怠慢によって申告しなかった場合など、主として自己の過失怠慢によって納税義務の履行が完全になされなかった場合、第三段階として自己に発生した納税義務を認識していたが、所得秘匿行為を伴わない単なる虚偽過少申告行為をなす場合など、絶対的に租税を回避しようとする抵抗意思はなく未必的犯意に基づく消極的不作為ないしは逋脱も未遂ともいうべき行為、第四段階として、租税を免れる犯意のもとに非合法的手段を講じて所得を隠匿し、虚偽の申告はもとより、故意に無申告によって逋脱犯の実行に及び、租税庁の調査権の行使に抵抗して租税庁の更正決定を誤らしめる行為とに区分して考察することができる。
そして第一の行為は法律の誤解に基づくものとして、行政罰をもって対応することをもって足りる段階のものであり、又第二に該当する行為は過失による法令違反の事案として対処すべき程度のものであり、更に第三に該当する行為は、逋脱犯の実行行為に着手したが、未必的犯意に基づく消極的不作為、ないしは、逋脱の未遂状態の段階と評価し得るものであり、第四の段階においてはじめて『偽りその他不正の行為』に該当する行為として刑事罰をもって対応する行為を評価し得ることになるのである。
東京地方裁判所刑事二五部昭和五五年二月二九日判決において(判例タイムズ四二六号二〇九頁)「しかしながら租税逋脱犯はもとより故意犯であるから、その成立には単に納税義務の存在することの認識が前提となる。すなわち租税逋脱犯の構成要件は、偽りその他不正の行為により納税義務を免れることであるから、右逋脱犯の構成要件を組成する客観的事実の認識が成立するためには、納税義務、すなわちその内容をなす所得の存在についての認識が必要であり、更に加えて偽りその他不正の行為に該当する事実の認識が必要である。― 中略 ―租税逋脱犯の構成要件該当行為としての『偽りその他不正の行為』には、たとえば、期末たな卸高を圧縮したり、架空仕入れを計上するなどの方法により、所得を秘匿する行為をともなって虚偽過少申告をする行為や、右の如き秘匿行為をともなわない単に虚偽過少申告行為のみが逋脱行為となる態様がある。右のうち、所得秘匿行為の伴わない場合には、逋脱の意思をもって、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出することを要する(最高裁判所昭和四八年三月二〇日第三小法廷判決刑集二七二号一三八頁参照)。それは当該申告によって税を逋脱せしめることの積極的意思の存在を必要とし、更に行為者において、敢えて右申告に及ぶことを要する。従って、それは未必の故意があるだけでは足りないと解しなければならない。」
旨判示しているところであるが、この判示に基づいて本件を見るに、後記「事実誤認の主張に対する判断について」の項において摘示主張するごとく、被告人には本件申告によって税を逋脱するという積極的な意思がなく、単に法定納期限に本来納付すべき税の納付が免れるという認識があったとしても、期限経過後に申告し、納税する意思があったと認められるのであるから、強いて前記の違法性価値評価基準の四段階に当てはめれば、第三類型に該当し「租税庁の調査権の行使に抵抗する意思はなく、単に調査権行使に非協力な未必的犯意に基づく消極的不作為、もしくは逋脱の未遂」の段階ともいうべき程度のものである。
従って、本件は『偽りその他不正の行為』に該当しない行為であるから、原判決が「所論のように事前に所得秘匿工作を伴う場合よりも積極的な逋脱の意思を要するものと解すべき実質的理由を見出し得ない。所論は、独自の見解のもとに原判決の法令適用の誤りを主張するものであって、到底採るを得ない。」と判示し、控訴人の主張を排斥したことは、明らかに判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。
第二 事実誤認の主張に対する判断について
一、原判決は、原審において弁護人が「被告人には逋脱の故意がないのにこれがあるものと認定した原判決に明らかな事実誤認がある。」旨主張したことに対し、
「所論は、事前に所得秘匿工作を伴わない虚偽過少申告逋脱犯においては、税を逋脱することの積極的な意思の存在が必要であるとの見解のもとに『被告人は、平成二年一月ころ、立花玲子に対し本件仲介手数料収入を平成元年分の所得として申告する意思であることを伝えたところ、同女から「申告するならただじゃ済まない。こっちには前科者がごろごろいている」などと脅迫され、もし同女の要求に応じなければ暴力団等により自己の身体、財産のみならず実母らにも危害を加えられると畏怖し、敢えてこのような危険を冒すよりも次年に繰り越して申告するほうが安全であると考え、やむなく次年以降に申告する方法を考えたものである』という被告人の捜査段階以降の供述を援用し、原判決(争点に対する判断の項)において説示するところに種々反論を加えている。しかしながら、所論の見解を採り得ないことは先に指摘したとおりである。そして、被告人の右供述を前提としても、被告人が平成元年中に二億三、五〇〇万円の仲介手数料収入を得ながら、それを除外して内容虚偽の所得税確定申告をすることにより、法定納期限において本来納付すべき税の納付を免れる結果を生じることを認識していたことは疑いのないところであり、右のような認識のもとに虚偽過少の所得税確定申告書を提出し、法定納期限を徒過させたものである以上(本件のような期限前の虚偽過少申告逋脱犯は法定納期限の徒過により既遂に達する)、たとえ次年度以降に右過少申告分を繰り越して申告する意思があったとしても逋脱の故意に欠けるところはないものというべきである」旨判示している。
1.逋脱の犯意について
被告人は、
平成五年六月一五日付検察官作成の供述調書において、
「これだけの大きな取引をして多額の手数料を得たのですから、当然その所得の申告はきちんとしなければならないと思っておりました。つまり私としては、二億三、五〇〇万円の所得があったことを積極的に隠して嘘の申告をしようというようなことは考えていなかったのです。
私は、自分の勤務先のスペースの坪内社長らに対し、絵画取引という言葉は使わなかったものの、ビジネスを一つまとめて手数料を得たのでスペースのために使いたいという趣旨のことを言い、スペースの金庫に現金の形でその所得を保管しており、適宜スペースに貸付けるなどして運用しておりました。(同調書三丁)。
「このようにして、平成二年三月の時点では正しい申告をしなかったのですが、私としては、来年つまり平成三年三月には仲介手数料をも含めた正しい申告をしなければならないと考えておりました」(同調書一四丁ないし一五丁)。
「平成二年秋頃三菱商事は、ルノアールの絵画取引について立花さんがつくったストーリーどおり話をしていると聞いていましたので、私は立花さんに会ってそれがどのようなストーリーであるのか聞いてみたのです。― 中略 ―私は、立花さんが一体何を考えているのかわからなくなってしまいました。立花さんという人間に対して信用ができない、いつまでもこんな人と関わっていては自分の身の破滅になるという思いを次第に強くしていったのです。そのようなこともあり、私は平成三年三月の申告時期には、正しい申告をしなければならないという気持ちを強くしたのです」(同調書一五丁ないし一八丁)。
旨供述し、又一審第二回公判において、
「平成二年一月末に金子氏と立花氏の店に行ったときに、雑談で『ところであの所得はどうするんですか、私は申告しますけれども、みなさんはどういう具合にするんですか』と立花氏に問うたところ― 中略 ―『申告したけりゃ勝手にしなさい。しかしただでは済まないわよ。こっちには前科者がごろごろいるんだから腕の一、二本折られる覚悟でやるんだね。』と言って物凄い剣幕で私を睨みました。常々立花氏は『自分は右翼の超大物に可愛がられている。広域暴力団の親分等と昵懇なのよ』と吹聴していましたので、単なる脅しやハッタリではないと思い、自分の身辺に危害が及ぶということを恐れたのと、これだけ物凄い剣幕で脅す以上、他に何か事情があるだろう、おそらく売手さんの相続が終ってないのかと想像し、まずは申告することをずらし、平成三年の時にこの手数料収入を加えて申告しようと思いました」(一審第二回公判被告人供述調書)。
と供述しているところであるが、その供述内容は終始一貫しており、極めて信用性が高いものと判断されるところであるし、特に被告人が本件手数料収入について、当時の勤務先であった株式会社スペースコミュニケーションズの坪内社長にその旨を報告してこれを同社の運用資金として貸付けていた事実から判断し得るように被告人は本件収入を私的関係において、これを秘匿する意思は全くなかったことが明らかであるから、これらの事実からも被告人には逋脱の意思はなく、仮に法定納期限において納付すべき税の納付が、納期限を徒過する結果が生ずるという認識があったとしても、それは納期限後に申告することにより納付義務を履行する意図のもとに行動したものであることが明白であって、その認識は逋脱の認識の範疇に属さないというべきであり、仮に然ずとするも、その認識は税を逋脱せしめることの積極的な意思とは認定し難い。
2.法定納期限の徒過と既逐時期について。
原判決は、虚偽過少の所得確定申告書を提出し、法定納期限を徒過させた以上、これにより逋脱犯は既逐に達するとしたうえで、これを理由に、たとえ次年以降に過少申告分を繰り越して申告する意思があったとしても、逋脱の故意に欠けるところはない旨判示している。
しかしながら、この理論は虚偽の申告書の提出があれば、法律により発生した正規の納税額が国庫に納入されないことが確定するから、税を免れた結果が生じ、逋脱犯が既逐になるというものであって、国税通則法・六八条に規定する重加算税との関係において極めて矛盾する結果となることが明らかである。
重加算税の法律上の性格については、処罰ではなく特別の付加税であるとの見解もあるが、不正行為によって課税権の侵害の危険を及ぼしたことに対する、一定の財産的制裁を科するものである以上、一種の「処罰」であることは疑いを容れないところであるから、重加算税が課せられるべき行為、即ち、仮装隠蔽に基づく納税申告書の提出があると、申告期限の到来と同時に逋脱犯について既遂となるとするならば、その結果、重加算税を課すべき違法行為は逋脱犯に吸収されるか、あるいは、観念的競合、または牽連犯として刑法五四条により最も重い逋脱犯をもって処断しなければならない理である。
その結果、租税庁は逋脱犯により告発すべき心証を得たとき、あるいは告発手続を履践したときには、もはや重加算税の課税は出来ないことになるし、その反対に重加算税を課せれば一事不再理の原則に基づき、もはや逋脱犯による訴追、処罰は不可能となる。
そもそも逋脱犯の被害法益は、国庫の歳入の確保であるから、所得隠蔽等の行為によって国の徴税権が侵害されること、即ち、不正行為によって租税庁の調査権を欺罔して課税処分を誤らせたという段階ではじめて既遂となるのであって、偽りその他不正の行為に基づく申告書を受理しただけでは徴税権の侵害は未遂の段階であり、税を免れたという結果は生じていない。従って逋脱犯は成立していないという結論に到達することは疑いを容れないところである。
これに対し、重加算税においては、侵害される法益は円滑な徴税権の行使であり、納税義務者の誠実な申告義務に違反した虚偽の申告書の提出によって徴税権は侵害される危険が生ずるのであるから、租税庁がこれによって欺罔されると否とに拘らず、その可罰条件は充足されたものと判断し得る。そして虚偽申告書の提出後納税義務者が修正申告書を提出して真正な納税義務を履行し、あるいは、税務調査によって不正が発見され、更正処分がなされ真正な租税債権が確定した場合には、逋脱犯は未遂となり犯罪が成立しないと解するのが相当である。
以上を要約すれば、逋脱犯は税を免れる意図のもとに、偽りその他の不正行為による確定申告書を提出し、または提出しないことによって、法律上納付すべき税金を免れる犯罪であるから、法定納期限以降においても納税義務者の修正申告などの行為、または租税庁の調査権の行使によって、真正な課税処分がなされ、かつ、納付されるならば、逋脱犯は成立しないものと判断するのが相当であると結論することができる。
原判決は、本件が期限前過少申告逋脱であるから、法定期限の徒過によって既遂に達するとしたうえで「たとえ次年以降に過少申告分を繰り越して申告する意思があったとしても逋脱の故意に欠けるところはない。」旨の判断を示し、専ら被告人の犯意に関する認定の対象範囲を本件申告書の提出段階と法定納期限に限定したうえで「法定納期限において本来納付すべき税の納付を免れる結果を生ずることを認識していたことは疑いのないところである」と認定した。
しかしながら、前記のごとく逋脱犯は、法定納期限経過によって既遂となるものではなく、納期限以降に修正申告がなされ、または租税庁の調査権の行使によって真正な課税処分がなされ、かつ、納付されるならば、逋脱犯が成立しないと理解するのが相当であると思料される以上、被告人の犯意は申告書提出や法定納期限の範囲に限定して判断すべきではなく、法定納期限以降も含めその言動全般を対象として判断すべきである。被告人は前記第二、一、1記載のごとく、不断に繰り越し申告手続を念頭において行動しており、また平成三年三月期に申告しようとしたものの、立花玲子に脅迫されたことから、同女に気付かれないため、敢えて同年三月一五日を経過してから修正申告することで高額納税者リストに公表されることを避けることを企図し、平成三年三月一九日ころ世田谷税務署に電話をかけ、修正申告を申し入れ、同年四月一日岡野茂税理士に東京国税局に連絡して貰い、同月三日同局に赴いて事情説明に及んだ事実が認められ(一審第二回公判被告人供述調書)。これら被告人の申告書提出前、及び、法定納期限経過後の言動、及び、捜査段階以降の被告人の供述内容等を総合するならば、被告人には本件雑所得を得てから、申告書の提出、法定納期限以降、並びに、修正申告に至る迄の期間、税を逋脱せしめるという積極的な意思はなかったことが明らかであり、仮に原判決の判示するごとく、内容虚偽の所得確定申告をする段階において、法定納期限の徒過により本来納付すべき税の納付を免れる結果が生ずることを認識していたとしても、これをもって積極的な逋脱の範囲を認定することは不可能であるから、原判決が逋脱の故意に欠けることがない旨認定したことは、明らかに事実を誤認した違法があるというべきである。
3.違法性の認識について。
原判決は「所論は、被告人自身は申告の意思を有していたものの、前示のように立花から脅迫されたため、(1)適正な申告をすることについて期待可能性を欠いたものであり、(2)次年以降に申告する意思があったから、虚偽過少申告をすることについて違法性の意識を欠き、また、欠いたことに過失はない、と主張する。しかしながら、被告人が、如何に立花からの脅迫を恐れたといっても、適正な申告をすることにつき税務当局や警察等に相談するなどの行動に出ることは十分可能であったことが明らかであるところ、原審記録に被告人の当審供述を併せ検討すると、被告人が法定納期限内に右のような行動に出る努力をした節は一切窺われないのであり、また、被告人は、立花の示唆によるとはいえ、平成元年四月に、本件仲介手数料として受け取っていた額面一億円の小切手二通を銀行において換金する段階で既に偽名を用い、現金の入りが判明しないようにしていること、二億三五〇〇万円を借金の返済、関係している会社等への融資、自宅の家具調度の購入などに費消し、同年一二月末の時点で既に残金が約二、〇〇〇万円程度になってしまい、納税資金確保の確たる目処が立っていたわけでもないことが認められるのであって、右のような事情に照らせば被告人において適正な申告をすることにつき期待可能性を欠くなどとは到底いえないばかりか、そもそも立花の脅迫のみが動機となって本件虚偽過少申告に及んだという弁解自体も採ることはできない。そして、被告人は、次年以降に申告する意思を有していたとしても、正規の申告期限(法定納期限)までに申告すべきものであるとの認識を有していたことも前示の供述自体から明らかであって、違法性の意識があったことが優に認められる。」旨判示して弁護人の主張を排斥した。
(一)被告人が税務当局等に相談する行動をとらなかったとの点について。
なる程被告人は原審において裁判官の質問に対しこの点に関する適切な供述に及んでないところであるが、被告人は裁判官の質問の趣旨を良く理解できないまま沈黙してしまったものであって、これを被告人の立花の脅迫のみが動機となって本件虚偽過少申告に及んだという弁解自体を否定する資料とすることは極めて不当というべきである。
被告人はひたすら、本件仲介手数料に関する申告、納税を立花に知悉されない方法で実現することに苦慮し、その打解策として繰り越しによる申告の方法に求めていたものであって、原判が判示するごとくその解決策として警察や税務当局に相談することは極めて容易であったとしても、これによって被告人が仲介手数料の収入を関係機関に公表する結果となったことが立花の知るところとなることは明らかであるから、結局は立花の脅迫の通り、自己の身辺、即ち、被告人の身体、財産のみならず、実母等にも危害を加えられることがあり得ると危惧し、関係機関への相談は何等の解決策にならないと思料して、専ら、繰り越し申告により立花に知られない状態で処理しようと考えたというのが実態である。
それ故に、被告人は経済誌によって三月一五日の所得税申告期日を徒過してから修正申告することにより高額納税者リストに公表されないことを知り、ことさら、平成三年三月一五日が経過した同月一九日に世田谷税務署に電話をかけて修正申告を申し入れ、同年四月一日に岡野茂税理士に修正申告手続を依頼して同税理士を通じて東京国税局に連絡をとったうえ、同月三日同局に赴き自発的事情説明に及んで同局の指示に従い修正申告手続に及んだものである(原審第二回公判被告人供述調書)。
原判決は、法定納期限内に限定してその期限内に税務当局等に相談しなかったことをとらえ、被告人の弁解を信用できないものとして排斥したが、法定納期限経過後の被告人のかかる行動も総合的に評価して、その信用性を評価するのが当然というべく、然りとすれば被告人の捜査段階以降全く変動のない供述内容、及び、右のごとき被告人の言動によって、被告人の供述は極めて信用性に富むものと断言し得るところである。
(二)小切手二通の現金化にあたって偽名を用いたとの点について。
なる程、被告人は本件仲介手数料として受領した金額金一億円の小切手二通を換金するに当たって、その小切手の裏面に「青山勝」と偽名を用いて署名をしたことが認められる。
被告人は、立花より換金にあたっては本名を使用しないよう指示されていたことから、右のごとき偽名を用いたものであるが、この点に関し被告人は「私としてはこのような仮名で裏書をして預手を換金することに抵抗がありました。小切手の偽造あるいは文書の偽造になるのではないかと思ったのです。それで、自問自答した結果、無横線の預手であれば、本来はサインなしでも換金できるのだから、換金の際仮名を書いたとしても、いわば一種の落書に過ぎず、法に触れないのだと自分を納得させたのです。」(平成七年五年六月一五日付検察官作成の供述調書四四丁ないし四五丁)と供述しているところであって、偽名による署名は、全く意味がないものと理解しており、これが所得隠蔽のためであるなどという認識や意図は全くなかったことが明らかである。
よってこの点をとらえ、ことさら、被告人に違法性の認識があったとの判断資料とすることは妥当ではない。
(三)被告人に納税資金確保の確たる目処が立っていなかったとの点について。
原判決は、被告人は平成元年一二月末の時点で借金の返済、関係会社等への返済などに費消し、残金が約二、〇〇〇万円程度になっており、納税資金確保の確たる目処が立っていたわけではない旨認定しているところであるが、一審、及び、原審記録上右認定の根拠となる証拠は明確でない。
従って、右認定が証拠上相当であるか否かは判断し難いところであるが、それはさておき、被告人は昭和六一年三月ころ株式会社スペースコミュニケーションの顧問となり、昭和六三年一月には副社長に就任したが、その傍ら平成元年五月頃貿易等のコンサルティング等を営業目的とする株式会社ユニークを設立して営業を開始し、その前途に希望を持って営業活動を続けていた状況にあったため、平成元年一二月ころは資金調達に自信を持っていたことは十分推測し得る。
これに加えて、被告人は添付「仲介業務に関わる成功報酬の支払いの確認」と題するマイクロシステムズ株式会社代表取締役笠原進宛確定日付通知書によっても明らかな通り、仲介業務成功報酬として同社より、金一億四〇〇万円の支払いを受けることが見込まれていたのであるから、被告人がこれを納税資金に充当すべく計画していたことは疑いを容れないところである。
従って、原判決が納税資金確保の確たる目処が立っていないと短絡的に即断し、これを資料に「適正な申告をすることにつき期待可能性を欠くなどとは到底いえない」とか「立花の脅迫のみが動機となって虚偽申告に及んだという弁解自体も探ることはできない」と認定したことは極めて不当といわざるを得ない。
よって、原判決が弁護人の犯意に関する主張を排斥した点において重大な事実の誤認があり、その事実の誤認は、原判決を破棄しなければ著しく正義に反することが明らかである。
第三 量刑不当の主張に対する判断について。
原判決は本件の量刑事情として「一連の取引、及び、脱税工作の中心人物と目される立花の強い働きかけが被告人の犯行の要因となっている」ことを摘示しながら、原判決が懲役一年二月(三年間執行猶予)に罰金二五〇〇万円を併科したことが重過ぎて不当であるとは到底いえない」旨判示して弁護人の主張を排斥した。
しかしながら、本件は被告人が立花の脅迫によって過少申告行為に及ばざるを得なかったこと、これが被告人の犯意を否定する程度にまで被告人の自由意思を抑圧したか否かの判断は別として少なくとも立花の脅迫行為がなかったならば、本件犯行に及ばなかったことは疑いを容れないところであり、原判決も「たとえ次年以降に右過少申告分を繰り越して申告する意思があっても逋脱の故意に欠けるところはない」旨認定していることでも明らかなように、法律的な判断に基づく犯意の認定は別として、被告人には脱税により課税を免れ利得する意思は全くなかったのであるから、この点を酌量するならば、被告人に罰金二、五〇〇万円を併科したことは酷に失する。
その他、原審において弁護人が主張した量刑事情を考慮すると原判決が量刑不当の主張を排斥したことは刑の量定が甚だしく不当であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。
以上、詳論したごとく、いずれの点からも原審が被告人の主張を排斥し、控訴棄却の判決を言渡したことは不当であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると思料するので、判決で原判決の破棄を求めるため、上告に及んだ次第である。
<省略>